長野県の酒蔵では、多くの女性杜氏(製造責任者)が活躍しています。
酒千蔵野(主要銘柄「川中島 幻舞」)の千野麻里子さん、高沢酒造(主要銘柄「豊賀」)の高沢賀代子さん、尾澤酒造場(主要銘柄「十九」)の尾澤美由紀さん、岡崎酒造(主要銘柄「信州亀齢」)の岡崎美都里さん、高天酒造(主要銘柄「高天」)の高橋美絵さん、大塚酒造(主要銘柄「浅間嶽」)の大塚白実さんらです。
他県では女性杜氏は1~2人しかいませんから、まさに長野県は女性杜氏王国といえるでしょう。そこに、新たにもう1人、女性杜氏が誕生しました。長野県上田市にある若林醸造の若林真実さんです。学生時代は蔵の後を継ぐことなど考えもしなかった真実さんが、東京の会社勤めを辞めて若林醸造に戻り、本格的な日本酒造りを再開させています。
アメリカでの苦い体験を経て一念発起
若林醸造は明治29年(1896年)創業で、今年で120周年になります。新潟県から杜氏と蔵人が冬場にやってきて酒造りを行うするスタイルで、戦後の高度成長期にはおよそ700石(1升瓶換算で7万本)のお酒を造っていました。主要銘柄は「月吉野(つきよしの)」です。
しかし、日本酒離れが進んだことによる事業の低迷などもあり、昭和44年には自社での醸造をほとんど辞めて、販売する日本酒の大半を委託して造ってもらう集約製造に移ることになりました。その後、米麹を他の酒蔵から購入して、細々と酒造りを続けてきました。
一方で近年は周辺の果樹農家からの委託でリンゴジュースなどの加工・瓶詰めに注力。さらに、7~8年前から商品化している甘酒の評判がよく、本業の減益をカバーしつつあります。
そんな酒蔵に二人姉妹の次女として生まれた真実さんは、蔵を継ぐ意思はまったくなく、将来は海外で働きたいとの思いがあり、大学では英語学科に進学。勉強の一環としてアメリカでホームステイした際に実家が酒蔵であることを話すと、興味を持たれていろいろ聞かれたものの、酒蔵の仕事について何ひとつ答えることができなかったそうです。その時に恥ずかしい想いを感じるとともに、「実家の酒蔵は日本文化の一翼を担っているんだ」と、初めて日本酒に興味を持ったそうです。
大学卒業後、東京で就職。久しぶりに里帰りをした際、ご両親が「我々の代で蔵を閉じようか」と話しているのを小耳に挟みます。「その時、とっさに思ったのは『もったいない』でした。母屋は重厚な歴史ある建物で、小さい頃から大好きだった。それがなくなるのは嫌だという気持ちが、戻ってくるという決意を促したのです」と真実さんは振り返ります。
2013年3月、酒蔵に帰った当初は、屋台骨の一翼を担ってきたジュース加工と甘酒を伸ばすという意識が強く、自分で日本酒を造ることになるとは想像もしていませんでした。
ただ、アメリカでのホームステイの苦い経験もあり、「自分でも日本酒を造れるようにはなりたい」との想いもありました。そこで同じ上田市内にある信州銘醸で酒造りの修業をはじめます。杜氏に密着して仕込みを学び、泊り込みも経験しました。だんだんと酒造りが面白くなったのはこのころからです。
修行を積んで50年ぶりに本格的な日本酒造りを再開
酒類総合研究所の研修を受け、信州銘醸での二年目の修業に入った矢先に、それまで年にタンク1本分の日本酒を造ってくれていた杜氏がケガをして、その冬は造りに来れないことに。そこで真実さんは修業の合間に蔵に戻って、初めて1本分の純米酒を自力で仕込んでみたのです。納得はいかないものの、そこそこの味わいだったそうです。これが2年前(平成26醸造年度)のことでした。
1升瓶換算で300本弱のお酒ができあがりましたが、問題は販路です。仕事で東京へ出かける機会があり、仕事が終わった後に「いいお店だなあ」とふらっと入った飲食店でのことでした。
すぐに店の人と仲良くなり、自分が造ったお酒の話になりました。すると店の人は「うちはいろんなところで10店舗ほど展開している。社長に話してみようか」とつなげてくれ、実際に若林醸造の日本酒を飲んでみた社長が即決で「全部買おう」と注文してくれたのです。
「おかげで、次の年から本格的に造りを始めよう、麹も自分で造ろう、という気持ちが固まりました」と真実さん。翌年の造りが始まる前に、使われずにほこりをかぶっていた麹室を改造して、一から日本酒が造れる体制を整えました。
そして、平成27醸造年度には、信州銘醸での修業を続けながら、タンク2本分の特別純米酒と各1本分の吟醸酒と純米吟醸酒の計4本の日本酒を仕込みます。若林醸造が50年ぶりに本格的に日本酒造りを再開する記念すべき年になりました。
夫婦二人三脚で挑む酒造り
お酒のラベルも一新。縦長のラベルの中央に、まるみを帯びた平仮名の「つきよしの」を置き、上下に月と吉野桜を配置した優しいデザインに仕上げています。評判はまずまずで、酒販店からの問い合わせもあり順調なスタートになりました。今季平成28年醸造年度は、仕込む量を2倍に増やしています。
「酒造りは奥が深くて、悩みばかりです。思うようにならないことが多すぎて。ただ、うちは甘酒もやっていて麹を造る機会は多いので、早く再現性が高い麹造りと酒造りができるようになりたいと思っています。まだまだ未熟だし、前の杜氏さんには引き続き来てもらっているので、杜氏と呼ばれるのは恐れ多いです」と真実さんは話していますが、「つきよしの」の製造責任者であることは間違いなく、現在の若林醸造はダブル杜氏体制といってよいでしょう。
真実さんが目指すのは、上立ち香よりも含み香を大事にして、酸味でメリハリをつけて、冷やでも燗でも楽しめる骨太の食中酒だそうです。
若林醸造は日本酒を本格的に造るのを辞めてから久しいために、できあがった醪(もろみ)を搾る専用の機械がなく、リンゴジュースの加工に使う圧搾機を流用しています。「もっと『つきよしの』のお酒が売れるようになって、日本酒専用の圧搾機が買える日が早く来てほしいな」という真実さん。昨年9月にはご結婚もされ、今季は夫婦二人三脚で酒造りに挑んでいます。
お二人のがんばりで、つきよしのは、もっともっと美味しくなるに違いありません。
(取材・文/空太郎)